
(この記事は2019年7月21日に更新されました。)
「谷口浩美選手がどんな選手だったか知りたい」
「こけちゃいました、と語ったシチュエーションを知りたい」
この記事はそんな方に向けて作成しました。
谷口浩美選手はどんなマラソン選手だったか?
1960年宮崎県生まれ。宮崎県の小林高校時代には3年連続で全国高校駅伝に出場し、高校2・3年では2連覇しています。
大学は日本体育大学に進学して、2年~4年まで3年連続で6区山下りを走りいずれも区間賞。3年・4年の時は区間新記録を更新しています。鮮やかすぎる経歴ですね。
旭化成に所属してからもマラソンを主戦場として活躍を続けます。1991年に東京で開催された世界陸上で優勝。その他にも別府大分や東京国際、ロンドンマラソンなど名だたるレースを制しています。
マラソンの自己ベストは1988年の北京国際マラソンで記録した2時間7分40秒です。
「途中で、こけちゃいました」
谷口選手を一躍有名にしたのが、1992年のバルセロナオリンピックの男子マラソンでの一言。
優勝候補として出場したものの、20㎞を過ぎたところの給水で左足の踵を踏まれたことが原因で谷口選手は転びました。数メートル飛ぶほどの大転倒で靴も脱げ30秒以上ロス。それでもあきらめずに前を追い最終的に8位入賞しています。
レース直後のインタビューで苦笑いを浮かべながら「途中で、こけちゃいました」「これも運です」とコメントしたことで、その穏やかな人柄に注目が集まりました。
アトランタオリンピック後に引退
その後、1996年のアトランタオリンピックに出場し選手団主将も務めています。このレースでは19位。翌1997年に谷口選手は現役を引退しました。
1988年千葉県産。25歳に走り始めた。サウナーでありロングスリーパー。ミドルレンジのトレイルレースを中心に走っている。おんじゅくオーシャントレイル2020、みたけ山トレイルラン2019などで優勝。PBはハーフが1:10、フルが2:35。
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