元日本記録保持者、中山竹通(たけゆき)選手の名レースを紹介!

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燃えるカエル

(この記事は2019年7月18日に更新されました。)

1987年の福岡国際で中山選手が見せた走りは衝撃的だった。

「中山竹通選手がどんなランナーだったか知りたい」
「1987年の福岡国際のレース展開を知りたい」

この記事はそんな方に向けて作成しました。

中山竹通(たけゆき)選手はどんなランナー?

1959年生まれのマラソンランナーで、元日本記録保持者(2:08:15)。1988年のソウルオリンピック、1992年のバルセロナオリンピックで4位となり、1980年代後半から1990年代の日本男子マラソンを率いた選手の一人です。

強烈な個性を持ち、他のランナーと集団で走るのを好まずスタートからハイペースで独走するスタイルを信条として活躍。舌鋒鋭い発言にも注目が集まった選手で、今でもファンが多いです。

ソウルオリンピック代表選考を巡る中山竹通選手の発言

「瀬古、這ってでも出てこい!」

当時、オリンピックの代表選考は実質的に福岡国際マラソン一発選考の様相があった。しかし、実力のある瀬古利彦選手が故障によってソウルオリンピック選考会の福岡国際マラソンを欠場することになりました。

陸連は例外的に、瀬古選手は翌年のびわ湖毎日マラソンで成果を収めればよいと判断したとされ、怒った中山選手の発言が冒頭のもの。実際には「自分なら這ってでも出ますけどね」と言っていたようですが、中山選手の強い個性が表れたエピソードで、当時はおおいに盛り上がったとのこと。

そんな状況の中で号砲が鳴った1987年の福岡国際マラソン。中山選手はここで伝説的な走りを見せるのです。

1987年福岡国際マラソンで中山竹通選手が見せた伝説の走り

圧倒的。その言葉がこれほどピタリとはまる走りはない。

レース序盤の15㎞までを5㎞あたり14:30ほどの超ハイペースで走り中間点の通過は1時間1分55秒。当時の世界記録をはるかに上回る速さで走り続けます。

35㎞以降はラップを落としていますが、2時間8分18秒でフィニッシュし2位の選手には2分以上の差をつけての完勝。

周囲に影響されることなくスタートからフィニッシュまで自分のスタイルを貫く感性もさることながら、トレーニング法やシューズも現在ほど進化していない30年以上前のレースで、中間点を1時間1分台で通過する実力に脱帽です。

中山竹通選手の走りへの哲学

中山選手の走りが今でもファンの心に残っているのは、そこに走りへの哲学、生き方への哲学があったからでしょう。

走り方、つまりは生きる方向性を「自分で選び取り、それに責任を取る」。わかっていてもなかなかできないことを自然に、そして熱量をもって体現したのが中山竹通選手だったのです。

 

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