元日本記録保持者、中山竹通(たけゆき)選手の名レース!

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燃えるカエル

1987年の福岡国際マラソンで中山竹通選手が見せたレースは、今でも語り草になる衝撃的な展開でした。

中山選手の特徴とともに紹介します。

中山竹通(たけゆき)選手

1959年生まれのマラソンランナーで、元日本記録保持者(2:08:15)。ソウルオリンピック(1988年)4位、バルセロナオリンピック(1992年)4位となり、1980年代後半から1990年代の日本男子マラソンを率いた選手の一人です。

個性の強い選手で、他のランナーと集団で走るのを好まずスタートからハイペースで独走するスタイルを信条として活躍。

舌鋒鋭い発言にも注目が集まった選手で、今でもファンが多いです。

ソウルオリンピック代表選考を巡る発言

「瀬古、這ってでも出てこい!」

当時、オリンピックの代表選考は実質的に福岡国際マラソン一発選考の様相があった。しかし、実力のある瀬古利彦選手が故障によってソウルオリンピック選考会の福岡国際マラソンを欠場することになりました。

その際陸連は、瀬古選手は翌年のびわ湖毎日マラソンで成果を収めればよいと判断したとされ、怒った中山選手の発言が冒頭のもの。

実際には「自分なら這ってでも出ますけどね」と言っていたようですが、中山選手の強い個性を表すエピソードとして当時のファンの間では盛り上がりを見せました。

そんな状況の中、号砲が鳴った1987年の福岡国際マラソン。中山選手はここで伝説的な走りを見せるのです。

1987年福岡国際マラソン伝説の走り

圧倒的。

その言葉がこれほどぴったりはまる走りはない。15㎞までを5㎞あたり14:30ほどの超ハイペースで走り中間点の通過は1時間1分55秒。当時の世界記録をはるかに上回り、現在の世界記録と比較しても遜色ないペースで走り続けます。

35㎞以降はラップを落としていますが、2時間8分18秒でフィニッシュし2位の選手には2分以上の差をつけての完勝。

周囲にとらわれることなくスタートからフィニッシュまで自分のスタイルを貫くその感性もさることながら、トレーニング法やシューズも現在ほど進化していない30年以上前のレースで中間点を1時間1分台で通過する実力に脱帽です。

走りへの哲学

中山選手の走りが今でもファンの心に残っているのは、そこに走りへの哲学、生き方への哲学があったからでしょう。

走り方、つまりは生きる方向性を「自分で選び取り、それに責任を取る」。わかっていてもなかなか出来ないことを自然に、そして熱量をもって体現したのが中山竹通選手だったのです。

 

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