「いだてん」主人公、金栗四三。日本人初のオリンピック選手

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走るウサギ

NHK大河ドラマの今期の主人公はランナー。日本人初のオリンピック選手で箱根駅伝の発案者でもある金栗四三(かなくりしそう)にスポットライトが当たります。

どんな人物か、ポイントを押さえて紹介します。

金栗四三はこんな人

まずは、ザクッとどんな人だったのかを紹介。

金栗四三(かなくりしそう)

  • 1891年に熊本県玉名郡に生まれる。1983年に92歳で他界。
  • 1912年ストックホルムオリンピックにて、日本人初のオリンピック選手としてマラソン競技に出場。
  • 1920年アントワープオリンピック、1924年パリオリンピックにも出場し、その後引退。
  • 箱根駅伝の発案者の一人

ちなみに、箱根駅伝の最優秀選手に贈られるのは「金栗四三杯」です。富士登山駅伝の一般の部の優勝チームにも同じく「金栗四三杯」が贈呈されます。

金栗四三と陸上の出会い

金栗四三は地元の学校を卒業後、東京高等師範学校(現在の筑波大学)に入学します。

当時の学校長は柔道の父として有名な嘉納治五郎。学校を挙げてスポーツを推奨しており、年に2回のマラソン大会を実施していました。

金栗四三は入学直後の大会で25位でしたが、秋の大会では3位でフィニッシュ。1年生としては抜群の成績だと嘉納治五郎学長からも褒められます。

そして、徒歩部(陸上部)に入部して、マラソンランナーとしての道を歩み始めました。

日本人初のオリンピック選手に

その後、順調に力をつけた金栗四三は国内屈指のランナーになっていきます。

そして、日本から初めてオリンピックに選手を送ることになる、ストックホルムオリンピックのマラソン競技予選会に参加。足袋を履いて出場し、当時の世界記録を27分更新する2時間32分45秒で優勝しました。

ちなみに、この予選会の距離は25マイル(40.225㎞)。1924年のパリオリンピックまではマラソン競技の距離は毎回違ったんです。そのあたりの歴史はこちらの記事をご覧ください。

54年のロングラン

翌1912年のストックホルムオリンピックでの金栗四三のフィニッシュタイムは、54年8か月6日5時間32分20秒です。

ストックホルムまでの移動の疲れ、白夜での睡眠不足、最高気温40℃などのバッドコンディションが重なり、レース途中で金栗四三はコース外で意識を失い倒れます。

現地の農家で介抱され無事だったものの、目覚めたのはレース翌日のこと。すでに彼のレースは終わっていたが、棄権ではなくレース中の失踪による行方不明扱いになっていました。

時を超えたフィニッシュ

時は過ぎて1967年。金栗四三はストックホルムオリンピック開催55年記念式典に招待されます。

この式典を準備している時に、オリンピック委員会が金栗四三の「行方不明」に気付きました。そして、フィニッシュさせるために彼を呼んだ粋な計らいだったんです。

競技場を走りテープを切ると、場内アナウンスで「54年8か月6日5時間32分20秒」のタイムが読まれ、第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程の終了が告げられました。

オリンピック3大会に出場

次のオリンピックだったベルリンオリンピックは第一次世界大戦の影響で中止。1920年のアントワープオリンピックでは16位になり、1924年のパリオリンピックは途中棄権。その後競技人生を終えています。

この間、1920年の第一回箱根駅伝の開催にも力を尽くし、日本マラソンの父として後世に名を残す存在になりました。ちなみに、道頓堀のグリコサインの参考にもなったようです。

 

 

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